長岡天満宮に合格のご報告
今日は、「春のいちご狩りとMYお箸作り体験」ツアーのセンディングに
朝から京都駅八条口に行って来ました。
最近、外国人観光客がすごく多くて、
韓国語より英語勉強しなあかんやろ~っと思ってしまう・・・
まあ、言葉が出来ても他社さんの集合場所ははっきりわからないし
間違ったことを教えてもいけないので、わかる範囲でご案内しております。
無事、バスを見送り、そのまま長岡天満宮に行って来ました。
学問の神様の長岡天満宮。
息子の合格祈願をしていたので、遅くなりましたが合格の報告とお礼をしてきました。
駐車場から境内へはこの石段を登っていくだけなのですが
長岡天満宮の前には八条が池という場所がありまして・・・
八条が池は、寛永15年(1638)に当時の領主・八条宮が造るように命じた、
灌漑用の溜め池で、外周は約1㎞、貯水量 は約35000トンあるといいます。
豊かな池を二分する中堤は参道として使われており、
中堤真ん中の石の太鼓橋は加賀前田候の寄進と言われています。
又周辺を包み込む花々を求めて訪れる観光客も多い所です。
(長岡天満宮HPより)
散策してるととても気持ちのいいところですよ。
桜もきれいでした
夜はライトアップもするみたいです。
長岡天満宮周辺は、もともと菅原道真の所領でした。
道真は幼くして学問に優れ、その聡明さと政治的手腕から
宇多天皇の信任を受けます。
醍醐天皇のときに右大臣まで上り詰めますが、時の権力者
藤原氏は道真の出世を快く思っていませんでした。
昌泰4年(901年)、左大臣の藤原時平は、醍醐天皇に、「菅原道真が娘を
斉世(ときよ)親王(宇多法皇の息子・醍醐天皇の弟)に嫁がせ、
醍醐天皇を失脚させようとしている」と虚偽の報告をし、
宇多法皇の政治的影響力を疎ましく感じていた醍醐天皇は
この讒言を聞き入れ、菅原道真に九州大宰府への左遷を命じます。
無実の罪により平安京を追われることになった道真。
道中、この地を訪れ、「我が魂長くこの地にとどまるべし」と
都を想ったそうです。
(このことから長岡天満宮は「見返り天神」とも呼ばれるそうです。)
道真が九州に向かうときにお供した中小路宗則という人がこのあたり
乙訓郡開田村の方だったそうですが、道真が自身の姿を模した
6センチあまりの木像を彼に贈ったそうで、それを御神体として
祀ったのが長岡天満宮の始まりだそうです。
※長岡天満宮の案内を要約させていただきました
京都には歴史を感じるスポットがたくさんありますが、
観光客の大半は、京都の東の方に行かれるんですよね~
西の方も嵐山や鈴虫寺などはいつも多いですが、
ちょっと足を伸ばすとまだまだゆっくり出来るスポットがたくさんありますよ











