金戒光明寺で非公開庭園を満喫してきました
今日はかなり久しぶりに金戒光明寺(こんかいこうみょうじ)に行って来ました。
非公開の庭園を庭師の方の解説付きで見せていただけるとのことで、
ツアーに参加して楽しませていただきました。
金戒光明寺は法然上人が最初に念仏道場を開かれた場所だそうです。
幕末に会津藩主松平容保が京都守護職を命ぜられ、ここを本陣としたことでも有名で、
学生時代に新選組が大好きだった私は何度か訪れたことがありましたが、
もう20年以上前のことなので、すっかりどんなかんじだったか忘れてました![]()
文久3年に、将軍徳川家茂が上洛する折に警護のため浪士組が結成され、
その中に試衛館の近藤勇や土方歳三、沖田総司がいたんですね。
しかし、浪士組を結成した清河八郎が本当の目的は「将軍警護」ではなく
「尊皇攘夷」だと言い出し、それに反対した者たちだけが京都に残ることになりました。
彼らは会津藩藩主の松平容保に許され、京都守護職お預かりとなり、
不逞浪人の取り締まりや市中見回り警備を任されました。
そういった経緯から、ここは「新選組発祥の地」とも言われているんです。
まあ、本当に発祥したのは壬生寺かな・・・と思いますが。
そして、ここには、戊辰戦争で亡くなった会津藩の藩士や、関係者のお墓があります。
門の入口には春に赤くなる「血汐もみじ」が植えられていました。
まずは山門の前の階段を上がります。
山門の楼上には、「浄土真宗最初門」と掲げられていて、法然上人の開かれた
浄土宗の教えがここから始まったとされています。
山門から向こう側を見る景色が綺麗でした。
熊谷直実の鎧掛けの松や
なんとも個性的なシマモクセイの剪定方法など教えていただき、
枯山水の模様を描く実演と、希望者によるチャレンジ。
こころが真っ直ぐだと真っ直ぐ線が引けるとのことでしたが、
皆さん上手に引いてらっしゃいました。
紫雲の庭。
この中央に見える松は鳥に見立てているそうです。
また、この庭は法然上人の生涯と浄土宗の広がりを枯山水で表現したとのことで
この真ん中の石が法然上人に見立てられています。
この橋を渡って奥にある非公開庭園に進みます。
足元の道に、小さな亀が見えますか![]()
この庭の中には三十三所巡礼を表して、33の亀がいるんです。
でも、いくら数えてもこの石の亀は32しかないそうで、
あとひとつはどこにいった![]()
![]()
・・・・・の答えがココ
亀に見えませんか![]()
遊び心が楽しいですよね~![]()
ここは空気が全然違って、ボーーっとゆっくりしたいくらい気持ちよかったです。
ひっそりとしていて、あまり人が入らないから苔もとてもきれいで、別世界でした。
素晴らしい景色と共に、長い歴史の中で脈々と続く技術を感じることができました。
実はこの日、ありえないくらいビックリな偶然があったんです。
朝、電車で集合場所に行く途中で、カバンから小さな鏡を落として割ってしまい、
今日は何かいつもとは違ったことがありそうだな、と思っていました。
この御影堂で住職のお話を聞き、大方丈の「謁見の間」「虎の間」「松の間」も
見せていただいたのですが、その前に朱印帳を預けて書いていただいていました。
私の朱印帳はこれです。
壬生寺で買った新選組の「誠」朱印帳。
ご住職のお話を聞きながら建物の中を見ていると、できた朱印帳をお寺の方が
持ってきてくださいました。
それを見ていた方が声を掛けてこられたんです。
「私がその朱印帳の製作者です」
え~~っ
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そんなこと、ある![]()
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壬生寺でならわかるけど、たまたまこの日に、ここで、この時間に、
しかも朱印帳を渡してもらうタイミングでその方にバッタリ会うなんて![]()
私も嬉しかったですが、その方も嬉しかったみたいです。
こんな偶然ある
って思ったけど、こういう出会いってあるんですね。
まだ発表していないことも教えていただいて、また今度、近藤さんに会いに
壬生寺に行かなければ~
と思いました。
その後、階段を登って京都市内を見渡せる場所へ。
昔、この階段の手すりがなかった頃は時代劇の撮影でよく使われたそうですよ。
三重塔を見て左に進むと
戊辰戦争で亡くなった会津藩の方のお墓があります。
別のところに会津小鉄のお墓もあります。
実は午後からもお寺さんめぐりに行きました。
それについてはまた後日・・・
昨日はランキングにご協力いただきありがとうございます![]()
まだブルーミングライフのことを知らない方に知っていただけたらいいなあと
思ってます。いつもありがとうございます![]()























